宇野重昭先生からのメッセージ
【講演録を公開するにあたって】
この講演録は現在執筆中の「私の85年史」の結論部の章の一つとするつもりでおりましたが、まとめ直してみると、「世界から見る日本のあり方」としての憲法改正論のような問題には定稿ということはありえず、常に不定稿とならざるを得ないことに気が付きました。
したがいまして「私の85年史」のなかでは至る所で戦争の厳しさと平和の難しさを論じることにし、講演録は頒布の範囲を限定せずに宇野ゼミホームページに公開することとしました。
成蹊大学名誉教授・元学長 宇野重昭
はじめに
今日は7月3日に日本基督教団松原教会におきまして半公開の形で講演した現在の最大問題の一つを、思い切って縮小するとともにこの同窓会に向け加筆・修正した私の考え方をお話ししたいと思います。もちろんこれは私の国際政治学者としての解釈です。
私の考える国際政治学では、理念的目標を立てることは望ましいことですが、人間のつくった理念は常に不完全であり、絶えず新しい民意、現実、経験などの現実によって深められるべきものと考えております。
今日取り上げるのは、国連憲章前文と、それとの対応で、とりわけ理想主義的な日本国憲法第九条第1項の問題です。そこには次のように書かれています。
A 国際連合憲章前文 われら連合国の人民は、われらの一生のうち二度まで、言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と人間の尊厳および価値と、男女および大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認する。
B 日本国憲法第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
興味深いことには日本国憲法形成過程で、現実的には第1条の象徴的元首で世襲天皇の地位を固めることが先行し、きわめて理念的な第9条の武力放棄の論理は、別に形成され、付加されたことです。ただしこの理念は従来日本および世界のどこでも実行されたことはないことを確認しておきたいと思います。
実践的哲学者の柄谷行人さんの解釈によると 「憲法九条は自発的な意志によってできたのではない。外部からの押し付けによるものです。しかしだからこそ、それはその後に、深く定着したということになる(柄谷行人『憲法の無意識』、岩波新書)と書かれています 。柄谷さんによるとこの九条はすでに『日本人の集団的な超自我となっており、「文化」となっている。ただほとんどの日本人はそれを「意識」していない。したがって意識的に全面的否定しても、それは存在し続ける』と、大変面白い議論をしています。思想的心理学的には一定の評価の対象となります。しかし政治学的にいうと、この条文は残しても、様々な語句を加えることによって実質的にその理念を発揮できないように工作することも考えられ、絶対変えることは出来ないと、あまり甘く考えることも出来ません。
1 日本国憲法のつくられた背景
日本国憲法の原型は、第二次世界大戦が始まって、連合国大国指導者の戦後構想会議において、大国中心主義、西欧文明擁護の主張を主軸にパワーポリティックスの論理のもとに段取りを追ってつくられました。新しい国際連合論も、同様です。
これらに関しロンドン生まれでコロンビア大学教授のマーク・マゾワー著(池田年穂訳)の『国連と帝国―世界秩序をめぐる攻防の20世紀』(慶應義塾大学出版会、2015年)は当時の具体的な記録に立脚して衝撃的な事実と解釈を展開しています。
それによりますとダンバートン・オークス会議(1944年8月から10月)の論争におきましては、アメリカはまだそれほど積極的でなく、実質的にはイギリスが裏でリードし、ソ連は大国中心に力点を置いて自己主張しました。その結果連合国側でも弱小国の主張は事実上排除され、非西欧からの問題提起は事実上無視されました。
会議には大要が決まってから中国が参加し、インドは分裂的参加です。他方白人主義の南ア代表スマッツは、第二次世界大戦後の民族自決主義の主張や日本の東亜振興重視などの意見に危機感を感じ、さまざまの裏面工作などにおいてことあるごとに白人の存在を誇示し、西欧的文明の危機を主張しました。この底流はサンフランシスコ会議に受け継がれます。
2 世界秩序をめぐる攻防の20世紀とアメリカの日本占領政策
もっとも国際政治では、20世紀に入ってようやくパワーのバランスによる現実的処理の方法が主流になったので、それまでは17世紀の近代的啓蒙思想成立から300年の論議と革命を経て、ようやくパワーポリティックスと平和的話し合いの組み合わせによる国際秩序論が成立しました。道義論も台頭しました。
結局「二つの世界大戦」が、その経験に立脚して、そのたびごとの戦争終息の方法、次世代秩序と平和のありかたの構想をつくりあげたことを忘れることはできません。悪しき戦争の経験が、それに続く平和への希求と構造を規定するわけです。
したがいまして第二次世界大戦後になってアメリカのマッカーサーは、日本において天皇を土台とする占領政策を優先的に決定し、1946年2月13日の松本烝治試案による日本側の憲法改正要綱を拒否し、その日のうちにアメリカ側の案を提示し、2月22日日本の閣議は、明治憲法を改定したGHQ草案の受け入れを決定します。
ただしこの間たとえば1月24日の幣原喜重郎・マッカーサーの秘密会談で知らますように、日本人の知恵も取り入れ、とくに国際連盟いらい全人類的理念を持つ幣原の提言を評価しました。当時は多くの人の共通の認識として、今後“国策の手段としての戦争が拡大して原子爆弾ないしはそれ以上の恐るべき武器が攻撃として使用されたら、遅かれ早かれ人類は滅亡する”という共通認識がありました。
この危機感が現実を動かします。「幣原の理想主義的先見と、マッカーサーのリアリストとしての危惧のなかで生まれた」(堀尾輝久「憲法9条と幣原喜重郎」、2016年5月号『世界』)のが九条であり、理想と現実の狭間に創出された合作といってもよいでしょう。
その後アメリカは、朝鮮動乱勃発時のときには当然のこととして軍事介入に乗り出しましたが、日本人利用方法は表に出ないような形でひそかに行われました。すでに日本においては第九条が文化としても定着し、国家が国民を導くための憲法ではなく、国民が主人公として憲法を機能させる主権在民の「立憲主義」が固められ始められていたからです。
これを変えようとしているのが現在の自民党の改憲構想です。自民党はその2012年中心の野党時代に、「憲法改正草案」をつくりました。声の大きい改正論者の提案が中心となって、かならずしも自民党全体の総意を代表していないとも言われます。したがいまして、改正の意見は内部的にも対立しており、今後は多様な法的手続き論争が焦点になります。
目下、現憲法の内容を歴史的資料として維持しつつ、各種の修正条項追加で現実的な道を拓く「加憲」論も数多く提起されています。
3. 日本の現実
しかしおりおりの世論調査の結果などを参考に考えますと元来国民の6割は抜本的な憲法改正には批判的です。そして改憲積極支持派の3割にしましても、その改正の実質的内容に関しては、意見をそれぞれ異にしています。問題は複雑です。したがいまして現在の安倍政権は、政治的に深刻な事態に進みうるような憲法改正論議はあいまいなものとし、ひたすら日本人的価値観と、世界の変動に対する日本の戦略的対応を重点に国民説得に乗り出しています。
たとえば安倍晋三首相の『美しい国へ―戦後レジ―ムからの脱却』においては、「私たちの国柄は何かと言えば、それはもう古来からの長い長い歴史の中に自然に出来上がってきたものが、日本の国柄ではないかなと思うところでございます。----この長い歴史のつづら折りの真ん中の中心線というのは、私は、それはご皇室であろうと、このように思うわけであります」と強調している。そして国際的環境の緊迫を強する場合にも、ただし「必要な自衛の措置しか我々はとらない、侵略は二度としない」と自民党に平和主義が貫かれていることを主張しています。
また議会の「3分の2」の「形成を図るなかで、草案の多くは修正されていくことになる」とも付言しています(2016年5月18日党首討論)が、姿勢はその都度修正的であり、「憲法改正」の具体案は見え隠れしたままです。
ただし経済、社会、教育問題などを巧みに絡めて、安倍内閣支持率は総体として高く維持しています。『朝日新聞』の報道によると、「特定秘密保護法成立」を表面化したときに46%、「集団自衛権行使」を閣議決定したときも44%と、国際的常識からいいますと、かなり高い支持率を確保しています。
さらに憲法違反の識者の声の大きい「 安全保障関連法」を成立させたときでも35%で、一般的には30%といわれる危険水域ラインと認識されるほどにはなっていません。経済政策、社会政策、災害緊急対策なども一緒にした政府支持率になると47%にも達します。『読売新聞』、『日本経済新聞』、『サンケイ新聞』などには、これより高い支持率も散見され、現在の民主主義制度の結果としては問題がないということになります。
したがいまして第9条を中心とする深刻な憲法改正案などは、かなり長い時間をへて、姿を現すことになるでしょう。
4 世界における現実的日本観
国際社会では、日本の憲法改正問題は、中国の公然たる反対論は例外として、多くの専門家は、これは日本自身の問題として、むしろ日本人一般を考える材料としています。
たとえば、「行列に整然と並び、礼儀正しく、よくゴミを拾う」という日本人の美徳の習慣が繰り返しつたえられています。また「自衛隊」はすでに正式の軍隊として処遇されていることが多く、日本の派遣部隊の平和環境維持のための出動の努力は相応に評価されています。また日本の事情に精通しているドミニ―ク・モイシィを例にとれば、「日本には独特の復元力がある。東日本大震災と福島第1原子力発電所の事故後、日本人は一段と団結して自信を持った。中国のように民主主義のない国、インドのように民主的だが不平等な国の弱い社会とは比較にならない」ということになります(2013年1月27日『日本経済新聞』)。
このモイシィの日本論などは、いちおうまともなものですが、日本の保守派にも有利な日本論ということになります。
もっとも日本人的あいまいさを激しく批判する人も少数ではありますが知識人中心に存在します。かれらは安倍政権のあいまい方針を唾棄するとともに、われわれ日本知識人のあいまいさをも遺憾としています。もっと具体的姿勢と政策論を明らかにせよということでしょう。
したがいまして倫理的、思想的に日本国憲法第9条を熱烈に支持する国際人はある程度幅広く存在しますが、それが政治的声援にまではなっていません。また政治的声援にしても多岐多彩です。なかにはびっくりさせられるような観点からの声援もあります。たとえば日本でも著名なロナルド・ドーアさんとなりますと、日本人の国連憲章改革への参加も示唆して、「国連憲章に善意があったとしても、それは戦勝国の人間に限られた善意にすぎません。敗戦国ドイツ、日本、イタリアは憲章に『敵国』と指定されているだけに、人類連帯意識に裏づけられた憲章だとはいえません」(『日本の転機―米中の狭間でどう生き残るか』ちくま新書)とまでのべています。しかしながら日本としてはすぐに動くことの出来ない課題です。
いまや戦略・戦術的に集団安全保障のシステムが緻密化されており、日本もこれに対応していく必要性が増しています。20世紀末から21世紀初頭にかけて世界の危機が深刻化していることは事実です。とくにテロリズムの国際化、中国の軍事派の発言力台頭、またアメリカのリーダーシップにおけるアメリカ第一主義への傾向などは、日本の自国に引きこもった安全主義第一主義の継続を困難なものにしています。
たとえば時々発表されるアメリカの「世界情勢予測報告書」によると、2030年にはアメリカの世界における主導は終わるとしたものもあり、日本その他の友好国の自主防衛力強化を要請しています。
またアメリカに留学してその外交論理に詳しい植木千可子さんとなると、適切な安全保障網を日本の実力相応に強化することがむしろ平和維持につながると柔軟に解説しています。植木千可子『平和のための戦争論』(ちくま新書、2015年)。私たちの後を継ぐ中堅的国際政治学者の代表的意見だけに説得力があると思います。
5 日本が取りうる道
では日本はどのようにすればよいのでしょうか。
とにかくスポーツや芸能や匠の技術の優れた側面はともあれ、日本の政治的影響力の全体は、低下しつつあります。ヤルタ・ポッタム体制の戦後国際秩序の是正を要求する力はありません。
ただ日本の国際的発言力が後退している時期であるだけに、逆に日本の知的価値の象徴である「平和憲法」を掲げなおし、世界史に提示していくことは現実にも重要なことです。世界的に準「戦時期」的現象が深刻化する時期であるだけに、実質的「戦時期」に至る前に平和をいかに創出し続けるかということにおいて、日本は新しい創造性を発揮していく必要性があります。
ここで西欧の人の熟知しているカントの「永遠平和のために」を読み直し日本と世界との共通認識を創出してみようと思います。
一般にカントの「永遠平和のために」は人類が戦争から脱却して達成する理想世界を描いているものとして解釈されることが多いと思いますが、しかしカントの新解釈の波はそうではありません。カントは、人類の実利優先によって、不可避的に生じてくる闘争・戦争を相対化し、そのため、法的規制を柔軟に活用し、「自然の摂理」のなかに「世界連邦」が生み出されることを願って、フランス革命直後の動乱期にこれを書きました。
かれは言います、「一緒に生活する人間の間の平和状態は、なんら自然状態ではない。自然状態は、むしろ戦争状態である」、「それゆえ、平和状態は、創設されなければならない」。
ひとびとは「たがいに殺戮しあい、そこで暴力行為のあらゆる残忍非道を、その行為者ともども埋め尽くす広大な墓地のなかで永遠平和を見出す」。
「この保証を与えるのは、偉大な技巧家である自然にほかならない」( カント(宇都宮芳明訳)『永遠平和のために』岩波書店、1985年、原著は1796年)。
この戦争の中からこそ平和の道が探求できるという考え方は、哲学というより国際政治学的です。
「二つの大戦」の言語に絶した犠牲は、不十分な理念の不十分さを越えて、理念のいっそうの完成をめざす新段階の国際政治学を求めています。
私が1980年代に私の国際政治観を組み立て直した過程は、それまでの私のキリスト教観、西欧文明観と苦闘を続けた時期の頂点と重なり合っています。カントの「自然」は、「神」信仰とは異質で、「自然」の「摂理」とともに理性の「狡知」への道も示唆しています。われわれ日本人も、より賢明になって、若干の違和感は残りますが、あえて学問的にはカントの「永遠平和のために」に対する新解釈を前提に、戦時の中の平和の探求を推進したいと思います。そのためにも、日本国憲法第九条の理念をさらに深めて、日本と世界の共有できる平和の構想を構築していきたいと考えております。
世界から見る日本のありかた- 日本国憲法「改正」問題をめぐって
松原教会における講演会 (2016年7月3日)の縮小改定版
ホームページ開設に寄せて
宇野重昭
宇野ゼミ同窓会のホームページが開設されるということは、嬉しいことです。最も新しい方法で情報を交換し、ネットワークをつくり、スピーディーに連絡を取り合うことは大変喜ばしいと思います。ゼミ生各人の状況をすぐ知ることができ、お互いに触発されあうことでしょう。
今後、このホームページが発展していくことを願っております。このホームページ開設のため精力を傾けてくださった方々にお礼を申し上げます。 ところで現在私が学長として働いている島根県立大学は、現在設立2年目を終えようとしています。大学の基礎もようやく固まりつつあります。私自身も「社会 科学入門」を担当し、若い人たちに話しかけ、且つまた学生の意見を聞き、教える側も年々心を新たにして時代の息吹を感じとっているところです。宇野ゼミ出 身の江口伸吾君が研究助手として、私の苦手な視聴覚器材の操作や時間的に困難な日頃の学生との対話を引き受けてくれています。 今、一番の問題は、大学院設立です。とくに、北東アジア研究をめぐって独自の大学院を作りたいと思っています。もし文部科学省から許可されれば、将来、北 東アジア研究に関する博士号取得者を輩出することも目標としています。大学院の一部は、早ければ、来年4月には発足できることを目標としています。 それとの関係で、現在私は、北東アジア研究に関する論著にとりかかり、今まで準備してきた仕事は全部後回しになっています。後回しにしている計画は、 (1)社会科学入門、(2)内発的発展論から見た国際関係、(3)農民から見た中国共産党史、です。
最近、私の編集責任で、1930~40年代の日中関係を考察する第1段階として『深まる侵略・屈折する抵抗―1930~40年代の日中のはざま―』(研文出版、2001年)という著作を出版しました。広く読んでいただければ幸いです。(2001年)